《反经·格形》
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孙子曰:“安能动之。”又曰:“攻其所必趋。”何以明之?
昔楚子围宋,宋公使如晋告急。晋狐偃曰:“楚始得曹,而新婚于卫,若伐曹、卫,楚必救之,则齐、宋免矣。”(前年,楚戍谷以逼齐。)。果如其计。
魏伐赵,赵急请救于齐。齐威王以田忌为将,以孙膑为师,居辎车中为计谋。田忌欲引兵之赵,孙子曰:“夫解杂乱纷纠者,不控拳;救斗者,不搏戟。批亢捣虚,形格势禁,则自为解耳。今梁赵相攻,轻兵锐卒必竭于外,老弱疲于内。君不若引兵疾走大梁,据其街路,冲其方虚,彼必释赵而自救,是我一举解赵之围,而收弊于魏也。”田忌从之,魏果去邯郸。
又,曹操为东郡太守(东郡,今魏州是。),治东武阳,军顿丘。黑山(黑山,今卫州界也。)贼于毒等攻东武阳,太祖欲引兵西入山,攻毒本屯,诸将皆以为当还自救,曹操曰:“昔孙膑救赵而攻魏,耿弇欲走西安攻临淄。使贼闻我西而还,则武阳自解。不还,我能破虏家,虏不能拔武阳,必矣。”乃行,毒闻之,果弃武阳还,曹操要击,大破之。
初,关羽围樊襄阳,曹操以汉帝在许,近贼,欲徙都。司马宣王及蒋济说曹操曰:“刘备、孙权,外亲内疏。关羽得志,权必不愿也。可遣人劝蹑其后,许割江南以封权,则樊围自解。”曹操从之,羽遂见擒。
此言攻其所爱,则动矣。是以善战者,无知名,无勇功。不争白刃之前,不备已失之后。此之谓矣。
『反经章节目录』
反经 格形译文
孙子说:“怎么样才能使敌军移动呢?那就要攻击他必定要去援救的地方”。为什么这样说呢?从前楚国军队围攻宋国,宋王派使者到晋国求救。晋国的狐偃说:“楚刚刚得到曹国,又新近和卫国缔结婚姻…详情
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