《智囊(选录)·兵智部·荀罂 伍员》
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【原文】
鲁襄时,晋、楚争郑。襄公九年,晋悼公帅诸侯之师围郑,郑人恐,乃行成。荀偃曰:“遂围之,以待楚人之救也,而与之战。不然,无成。”(边批:亦是。)荀罂曰:“许之盟而还师以敝楚:吾三分四军,与诸侯之锐,以逆来者,于我未病,楚不能矣。犹愈于战,暴骨以逞,不可以争。大劳未艾。君子劳心,伍员小人劳力,先王之制也。”乃许郑成,后三驾郑,而楚卒道敝,不能争,晋终得郑。
吴阖闾既立,问于伍员曰:“初而言伐楚,余知其可也。而恐其使余往也,又恶人之有余之功也。今余将自有之矣,伐楚何如?”对曰:“楚执政众而乖,莫适任患。若为三师以肄焉,一师至,彼必皆出;彼出则归,彼归则出,楚必道敝。亟肄以罢之,多方以误之。既罢,而后以三军继之,必大克之。”阖闾从之,楚于是乎始病。
〔评〕晋、吴敝楚,若出一辙。然吴能破楚,而晋不能者,终少柏举之一战也。宋儒乃以城濮之战咎晋文非王者之师。噫!有此议论,所以养成南宋为不战之天下,而竟奄奄以亡。悲夫!
按:吴璘制金,亦用此术。虏性忍耐坚久,令酷而下必死,每战非累日不决。于是选据形便,出锐卒,更迭挠之,与之为无穷,使不得休暇,以沮其坚忍之气,俟其少怠,出奇胜之。
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智囊(选录) 兵智部荀罂 伍员译文及注释
春秋鲁襄公时期,晋楚两国争夺郑国。襄公九年,晋悼公联合其他诸侯的军队一起围攻郑国,郑国人感到害怕,于是派遣使者前去求和。荀偃说:“应该继续围攻郑国,等到楚国救郑的时候,就可以迎…详情
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