智囊(选录)_语智部狄仁杰译文及注释
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查阅典籍:《智囊(选录)》——「智囊(选录)·语智部狄仁杰」原文
译文
武则天中立一人为太子。狄仁杰(太原人,字怀英)知道武后的想法,对武后说:“姑侄与母子,哪两种关系较为亲密?陛下立自己儿子为太子,那么即使太后崩逝后,仍能拥有自己的宗庙,享受万代子孙太牢的供奉;若太后立武三思等人为太子,三思是太后侄儿,臣从未听说侄儿成为天子后,会在太庙中供奉姑妈的。”太后于是明白过来。
评译
狄仁杰对武后所说的这番话,真是一针见血,说到武后心中痛处,武后想不理会都不行。武后后来立庐陵为太子,虽说和梦到鹦鹉折断翅膀以及玩双陆棋不胜的梦境有关,但从根本上却是被狄仁杰这番姑侄、母子的议论所打动。大凡生前贪恋荣乐的人,很少不在意死后的尊荣。王方庆位居宰相时,武后曾询问他,何以会允许自己的儿子被派远赴眉州当司士参军。王方庆回答说:“庐陵是陛下疼爱的儿子,尚且远在他乡,臣的儿子怎敢留在身边?”这也可说是对武后的一次很好的讽谏。然而,有感性的君王,人臣进谏可以动之以情;有理性的君王,人臣进谏可以说之以理。所以狄仁杰虽曾以言辞侮辱张昌宗而不会因此激怒武后,举用张柬之而不会受到武后疑心不忠,就因为武后是个理性的人。
注释①武承嗣、三思:武则天之侄。②祔:把死者的灵位附祭于太庙。③昌宗:张昌宗,与其兄张易之都是武则天男宠。
【原文】
武承嗣、三思营求为太子,狄仁杰从容言于太后曰:“姑侄与子母孰亲?陛下立子,则千秋万岁后配食太庙;若立侄,则未闻侄为天子,而祔姑于庙者也。”太后乃寤。
〔评〕议论到十分醒快处,虽欲不从而不可得。庐陵反正,虽因鹦鹉折翼及双陆不胜之梦,实姑侄子母之说有以动之。凡恋生前,未有不计死后者。时王方庆居相位,以其子为眉州司士参军,天后问曰:“君在相位,子何远乎?”对曰:“庐陵是陛下爱子,今犹在远;臣之子,安敢相近?”此亦可谓善讽矣。然慈主可以情动,明主当以理格,则天明而不慈,故梁公辱昌宗而不怒,进张柬之而不疑,皆因其明而用之。
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